ジャイアン・リサイタルへようこそ♪

「ドラえもん」のジャイアンが空き地で開くコンサート(リサイタル)のような、自己満足ページです。それでもお付き合い頂ける方、どうぞよろしくです。

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2005.01.18 Tue 01:15
1995年1月。
大学卒業を2ヵ月後に控えた私は、神戸市須磨区の海の近くに住んでいた。
卒業後は実家に帰って就職することになっていたので、あと2ヶ月、たっぷりと神戸での遊び納めをするぞと思っていた。
その1ヶ月前に付き合い始めた彼氏(現ダンナ)や友達と、毎日笑って暮らしていた。


1月16日の夜は、彼氏(面倒なので、ここから先はダンナと表記)とその友達、3人で長田区の中華料理屋でゴハンを食べた。
いっぱい食べて、いっぱい笑った。
食事後、友人、そして明石で1人暮らししていたダンナと別れ、私は須磨のハイツに戻った。
同じ大学の2回生で一緒に住んでいた妹は、成人式のため実家に帰っていた。
明日は朝からバイトだな~、とか考えながら寝たのが1時過ぎ。


揺れで目が覚めた。
熟睡していたので、一瞬何が起きたのか分からなかった。
寝ぼけている私に、今度ははっきりと激しい揺れが襲った。
部屋中の物が落ちる音がした。
私のほうにふすまが倒れてきたが、幸い当たらなかった。


揺れが収まって、ハイツの住人同士、声を掛け合って避難した。
視力が悪い私だが、メガネが探せ出せず、裸眼(視力0.01)で外に出た。
ボーッとした視界だったが、見えたのは、明らかに昨日とは違う風景。
倒れた家、砂埃、割れた道路。
同じハイツの人に手を引かれながら、公園に避難した。
しばらくすると、東のほうから灰が降って来た。長田の方面からだ。
この頃はまだ、長田であんなに大規模な火災が起きているなんて知らなかった。誰かが持って来たラジオで「芦屋で100人生き埋め」と言うのを聞いて、やっと「大変なことが起こった」と認識した。



昼ごろ、やっと公衆電話がつながった。
とりあえず、実家に無事の報告。母親はまだ事態が飲み込めていないようで、「気をつけなさいよ」と言って切れた。
その後、公園にいても屋根がないし、近くの小学校に移ろうという話になったが、私は断った。1人で行くのは不安だったし、何よりも明石にいるダンナのことが気にかかっていたのだ。
いったんハイツに戻り、荷物が散乱した部屋の中から電話を見つけ、ダンナにかける。かかった。無事のようだ。
聞くと、こちらのほうが被害がひどいようなので、明石に逃げることにした。
須磨から明石まで10キロ弱だろうか。
もちろん、電車は動いていない。車もない。
幸い、自転車が無傷で残っていた。
メガネを探し出し、身の回りの荷物を少し持って、自転車で明石に向かった。
途中で見た風景を、私は一生忘れない。
折り重なるように倒れた家、燃えている家。その前で、なすすべもなく立ち尽くす人々。線路の上で止まった電車。
これが本当に神戸なんだろうか?夢を見てるんじゃ?
そう思いながら、必死で自転車をこいだ。


明石に着いたのは、夕方近くになってからだった。
ダンナと無事を喜びあう。
落ち着くまで、ダンナのアパートに身を寄せることにした。



しかし、一番しんどかったのはここからかも知れない。
度重なる余震。そのたびに私はパニックになり、泣きわめいた。
ダンナは黙って聞いてくれていたが、その態度が私には「親身になってくれていない」と映り、また腹を立て、さらにヒステリックに叫んでいた。
災害時とは言え、よくこんな女と別れないでいてくれたもんだ、と思う。



ライフラインも寸断されていた。
明石は幸い電気は来ていたが、ガスと水道はダメだった。
近くの神社に湧き水があると聞き、ペットボトルを持って通った。夜のほうが空いているので、水汲みはたいてい夜だった。
月の光だけが震災前と同じやな、と思いながら歩いた。
まともな食べ物がなく、やっと開いているスーパーを見つけてもロクな物は売っていない。
仕方なく、3日間お菓子だけで過ごした。白いご飯が食べたかった。



しばらく経って、新幹線が姫路まで開通したため、そこから実家に戻ることになった。両親が心配して、絶対帰って来いと言ったのだ。まあ当たり前だろう。
しかし、実家に向かう電車の中で、私は無性に悲しかった。
4年間暮らした大好きな神戸を見捨てて逃げるような気がしたのだ。



実家に帰ってからは、新聞やテレビでしか被災地の状況が分からない。毎日、食い入るように目を通した。
大学の友人は全員無事だと分かっていたが、他方でまだ連絡が取れない知り合いも何人かいたので、新聞の犠牲者名簿を確認するのが日課になった。
ある日の新聞で、昔、一緒にバイトをしていた人の名前を見つけた。まだ23歳だった。
同じ大学の学生も何人か亡くなった。私は直接知らないが、友達がかわいがっていた後輩もその1人だった。バイト先(コンビニ)の常連客も、何人かが亡くなった。
以来、私は自分は「生かされている」と考えるようになった。一歩間違えれば、自分も死んでいたかも知れない。
私が住んでいた地区は、震度7だった。



今日が地震から10年目だという事で、テレビや新聞で特集が色々組まれている。
直視できないまでは行かないが、まだ進んで見る気が起きない。
当時のことを思い出すからだ。
思い出したくないけど風化はして欲しくない。
今回、リョウセイに震災の時のことを話して聞かせたが、まだよく分っていないようだった。
もう少し理解できるようになったら、一緒に神戸の街を散歩しながら話してやりたいな、と思う。



最近になって、新潟・スマトラ沖と立て続けに地震が起こっている。
自然災害なので防ぎようがないと言われればそれまでだが、もうこれ以上地震が起こりませんように、犠牲者が出ませんように。心からそう思う。











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救命救急見てたら、来週予告のときに
新潟で地震。北海道でも・・。
なんかせつないよね~。ドラマはなんかリアルすぎて途中でつらくなってしまったよ。ダンナは当時関西にいなくて震災のこと共有できないんだ。
「体験した人しかわからへんよねえ。」って友達も言ってた。
いつも楽しく読んでるよ!またメールするね。
From:はやっさん URL 2005.01.19. Wed 21:27 [Edit]
てるいまんさん、いいな~。こっちではまだまだ大泉洋は知名度低いです…(泣)。全然知らないか、よくて「あのカリフラワーみたいな人ね」ぐらいしか反応が返って来ません(T-T)
北海道って毎日大泉さんが見れるのですね!うらやましい…。
こちらでは、週2回のどうでしょうと救命病棟のみですよ…。

はやっさん、見てくれてたのね~!
救命病棟の最後で地震地震速報、タイムリーすぎてビックリしたよ。
地震は経験した人にしか分からない怖さだよねぇ…。もうイヤだね。
こんなブログでよかったら、また遊びに来てね~!
From:てるいまんさん、はやっさんちゃん(笑)へ。ジャイコ URL 2005.01.20. Thu 00:21 [Edit]
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ジャイコ

  • Author:ジャイコ
  • のんきなダンナ、超マイペース息子のリョウセイ(小学5年生)、嵐のような極悪不良娘パピコ(Mダックス/女の子・5歳)、一見おとなしいが結構ワルのグリコ(Mダックス/女の子・4歳)と私、ジャイコの5人?暮らし。

    パート待遇のくせに平日フルタイムで働きつつ、ダンナとリョウセイとパピコグリコ(通称・チーム江崎)のお世話。こりゃ大変だ。

    好きなモノは広島風お好み焼き・犬・レトロ雑貨。
    性格は極めてズボラ。
    細かいことは気にしない、と言うより気がつかない。
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